内田篤人と中村憲剛、ツーショットのイメージは強くない。しかし、2人の間には不思議な結びつきがあるのだ。

内田篤人と中村憲剛、ツーショットのイメージは強くない。しかし、2人の間には不思議な結びつきがあるのだ。

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内田篤人、鹿島移籍も「憲剛さんに相談したの」 - Number Web

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内田篤人が指名した意外な重要人物。鹿島移籍も「憲剛さんに相談したの」。

内田篤人と中村憲剛、ツーショットのイメージは強くない。しかし、2人の間には不思議な結びつきがあるのだ。

内田篤人と中村憲剛、ツーショットのイメージは強くない。しかし、2人の間には不思議な結びつきがあるのだ。

内田篤人が鹿島に戻って、早1カ月が経とうとしている。全てをかなぐり捨ててでも、もう一度活躍を誓う。そんな決意に満ちた移籍だ。

 鹿島への恩返し、経験の還元ももちろんミッションとして抱えながら、内田は本気で、W杯メンバーに滑り込もうとしている。

 しかし、だ。

 思い返してみると'14年ブラジルW杯当時、コロンビア戦で日本の戦いが幕を閉じた直後、テレビ取材でも、ミックスゾーンでも内田は言っていなかっただろうか。

 「(代表引退に関して)ずっと考えていた。人には言っていなかっただけ」

 ハリルホジッチ監督就任以降は、最初のキリンチャレンジカップで招集され、出場したのみ。負傷とリハビリにほとんどの期間を費やしたのが理由ではあるが、一体どこで内田は代表入りを望むようになったのか。

 なんとなくの気持ちはわからないでもないが、どこで大きく舵を切ったのか。Number944号のインタビューの際に尋ねてみた。

 「やめたかった、って感じ、'14年の前までは。ってか、中村憲剛さんに聞いたらわかるよ。でも俺、ポイントポイントでしかケンゴさんとは話してないから……」

 自分の心境の変化を一番知るのは中村憲剛だと言うのだ。だが、公私にわたり色々な話をする間柄ではなさそうだ。

移籍についても「実はね、憲剛さんに相談したの」。

 「実はね、俺の中では結構キーパーソン。憲剛さん、サッカーうまいもん。岡田ジャパンの時はずーっと憲剛さんに話聞いてもらってたから。そういう流れがあって、電話してるの」

 岡田ジャパン、つまり'10年南アフリカW杯の際、内田は直前までスタメンに入りながら本大会では外れて一度も出場できなかった。直前に負傷した中村憲剛も、出場はパラグアイ戦の45分弱にとどまり、ともに辛酸を舐めた仲間である。

 内田は'17年夏、シャルケからウニオン・ベルリンに移籍が決まった際も「実はね、憲剛さんに相談したの」と言っていた。インタビュー原稿の執筆にあたり、内田がターニングポイントには必ず声を聞きたくなる相手、中村憲剛の元を訪ねることにした。

電話を受けて「え、やめんのかなって」。

 取材意図を解した中村は、急な指名に少しだけ驚きつつ、笑顔というよりも爆笑しながら迎えてくれた。

 「そもそもあいつから普段は電話かかってこない。かけあう仲でもないし、別にプライベートでもオフに必ず会うとかでもないんですよ」

 お互いの認識は一致しているようだ。さて、まずは昨夏の電話について聞く。

 「電話がかかってきたときに“なんかこれ、あったな”って思ったんですよ。ケガしていたのは膝だったでしょ? え、やめんのかなって思ったんです。俺全然知らなくて、彼の膝の状態を。プレーしてないのをニュースで見て知っている程度で。

 良くなってシャルケで(夏のプレシーズンの)練習試合に出始めて……ちょうどそれくらいだったと思う。だからよく考えて(引退とは)違うなと思って電話にでたら、『シャルケから移籍しようか迷ってる』って言われて」

中村「あいつ、オレのこと“憲ちゃん”って(笑)」

 電話を受けた中村は、じっくりと話を聞くことができる状況にあった。

 「ちょうど美容室に髪切りに行ってて、まさに入り口に入った時にかかってきて。『え? 』って。そもそも電話自体あまりかかってこないから、ぱっと見て、『え、内田篤人? 』って。ちょっと外に出て20分、30分話したかな。

 あいつが、その電話で何かを決断するとも思ってなかった。だけど、思っていることは伝えなきゃいけないなっていう。電話の内容からしても……うん、ふざけてる感じじゃなかったから。

 選手としての岐路、ましてや日本かドイツか(の選択)っていう。だから、いろんな葛藤があったんじゃないかな。『どうしよ、憲ちゃん』っていうんですよ。そう、あいつ、オレのこと“憲ちゃん”って言うんですよ。何歳違いなんだよって(笑)」

 中村は、悔いを残さない選択を、と素直に思いを伝えた。

内田が代表に戻りたい理由も、憲剛は知っている。

 内田が親しみと尊敬を込めて呼ぶ“憲ちゃん”に、この日もう1つのテーマを伝える。

 内田はなぜ、代表にもう一度戻りたいと思っているのか。その理由は、中村が知るはずだと本人は言うのだが。

 「'10年の時、篤人はずっと試合にレギュラーで出ていて、最後は駒ちゃん(駒野友一)に代わったから、心中穏やかじゃなかった。でも、(直前に戦術変更をしたことで)意外とあの時そういう選手が多くて、俊さん(中村俊輔)とかもそうだった。俺自身は直前に顎を折ってしまって宙ぶらりんで大会に入ったから、レギュラーを外されたという感じではなかったんですけど。

 篤人のことは代表に入った時から可愛がっていて、選手としても認めてた。日本のサイドバックにはいないタイプだったから、個人的にすごく好きで。W杯をきっかけに世界で活躍して欲しいなと思っていたら、外されてキレちゃってた」

「どうせ自分は出ないっていう思いがあふれちゃう」

 精神的に難しい状況に置かれた内田の内心を、中村は理解できないでもなかった。

 「(試合に出られないので)俺も川口能活さんに話を聞いてもらっていたんですよね。俺が篤人の話を聞いて、俺は能活さんに聞いてもらって、結局全部が能活さんにいくみたいな。俺は篤人にとってそういう(能活さんのような)人間だったんだなと。かといって馴れ合うつもりもなかったし。

 でも、篤人は一番年下の方で、どうせ自分は出ないっていう思いがあふれちゃうのが見えてたので。そういうところはいやだなと思って、ススッと近くにいったりしてね。ちゃんとやりきらなきゃダメだ、って話はしましたね。

 あいつが覚えているかどうか知らないけど、今このチームの一員なんだからって。でも最終的にあそこでピッチに立てなかったことがシャルケでの活躍に結びついているし、CL4強までつながってると思う」

なぜ2018年のW杯に内田はこだわるのか。

 そして、なぜ'18年W杯にこだわるのか、中村なりの結論を出してくれた。

 「飄々としているけど、ああ見えて内には秘めてる。'10年に悔しい思いをしたから'14年があって、それが今につながると思う。結局篤人は、W杯で何もしてない。'14年も彼自身は頑張った方だけど、チームは勝てずに終わってる。だから今にかけてるんじゃないかな……執念、じゃないですか? 

 今回帰ってきたのも、なりふり構わないと言うか。1回決めたことはスパンとやり遂げるタイプだし。こう話していくと代表に戻りたいと思うのは必然かなと。そのためにJに帰る。(日本に戻ることに)抵抗があったとしても、もはやそれさえも関係ないというか」

 執念、それが中村の出した結論だった。内田にはおよそ似つかわしくない言葉だが、不思議としっくりくる。

 エールを送りつつ、中村はこんなことも明かしてくれた。

 「あれから電話、かかってこないですよ」

 昨夏、ドイツ国内で移籍したことも、もちろん今回の帰国も特に報告はない。

 「ま、日本にいるならそのうち会うでしょ。ちょっと不思議な関係だけど、お互いそれでいいと思ってるから」

 今年のJリーグでは、そんな2人の対戦も見られると思うと、かなり楽しみでもある。

(「JリーグPRESS」了戒美子 = 文)

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内田選手と中村選手の不思議な関係についてNumber Webに掲載されています。

本当に不思議な関係ですね。

めったに連絡取らないしオフにも特に会うわけではないけど、重要なことを相談する。

とにもかくにも内田選手はただならぬ決意で鹿島に復帰し、本気で代表を目指しています。

私たち鹿島サポーターとしてはその姿を目に焼き付けて全力で応援するのみですね!!!

頑張れウッチー!!!

 

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