ベルリン大聖堂をバックに、日本代表復帰への自信を見せるウニオン・ベルリンDF内田(撮影・木下淳)

ベルリン大聖堂をバックに、日本代表復帰への自信を見せるウニオン・ベルリンDF内田(撮影・木下淳)

トピックス 選手

<日刊>内田篤人、意識した「引退」の2文字

投稿日:

内田篤人、引退よぎり何度も泣いた/インタビュー

ベルリン大聖堂をバックに、日本代表復帰への自信を見せるウニオン・ベルリンDF内田(撮影・木下淳)

ベルリン大聖堂をバックに、日本代表復帰への自信を見せるウニオン・ベルリンDF内田(撮影・木下淳)

真剣な表情で日本代表への思いを語る内田(撮影・木下淳)

真剣な表情で日本代表への思いを語る内田(撮影・木下淳)

2年かけて右膝の大けがから復活し、ウニオン・ベルリンの練習場でボールを追う内田(撮影・木下淳)

2年かけて右膝の大けがから復活し、ウニオン・ベルリンの練習場でボールを追う内田(撮影・木下淳)

在住8年目を迎えたドイツの紅葉をバックに、日本代表への思いを語ったウニオン・ベルリンDF内田篤人(撮影・木下淳)

在住8年目を迎えたドイツの紅葉をバックに、日本代表への思いを語ったウニオン・ベルリンDF内田篤人(撮影・木下淳)

必ずロシアで返り咲く。ドイツ2部ウニオン・ベルリンの元日本代表DF内田篤人(29)が30日までにベルリン市内で取材に応じ、来年6月開幕のW杯ロシア大会を目指す覚悟を口にした。15年6月に右膝手術。引退も頭をよぎった負傷から2年かけて復活し、1部シャルケからキャリア初となる2部への移籍も決断した。すべては再びW杯のピッチに立つため-。スカパー!のサッカー専門番組「スカサカ!ライブ」(金曜午後9時)の人気コーナー「今まさに聞く」で元日本代表DF岩政大樹(35)と対談後、再起までの苦悩と日の丸への思いを語った。

 「黄金」と称される10月の首都ベルリンは、色鮮やかな黄葉が見頃を迎えていた。内田が移り住んで約2カ月。10年夏に渡ったドイツで初の移籍だった。「帰国も考えたけど、せっかく欧州に来たのに1チームだけで終わるのもどうかなと思って」。ブンデスリーガ上位常連のシャルケに7シーズン在籍し、退団時にはセレモニーが行われるほど愛された。ドイツ杯優勝、欧州チャンピオンズリーグ4強。栄光の次に選んだ道はプロ初の2部リーグだった。9月19日のザントハウゼン戦でフル出場し「よく2部は激しいと言われるけど、間違いなく1部の方が激しい。速さも技術も。だから自分の力さえ出せれば」。復活の手応えはある。

 その試合は、2年半ぶりの公式戦先発だった。右膝の手術を受ける決断をしたのは15年6月。前年2月に右膝裏の腱(けん)を断裂した。W杯ブラジル大会は強行出場したものの「実は宿舎で階段の上り下りができず、常に1人だけエレベーターで移動していた」と日常生活も困難だった。それでも全3試合にフル出場したように「痛みに強く我慢強いタイプ。だから、W杯の後もシャルケで試合に出続けて膝蓋靱帯(しつがいじんたい)が『骨化』するまで、やれてしまった」。

 その「骨」が膝の内部をむしばむ。炎症が治まった日はなく「筋力も落ちて(いすに座った状態で)右脚を自力で真っすぐ伸ばせない」。気付けば「交通事故クラス」にまで悪化した。

 「前十字靱帯や腱の断裂は症例が多いけど、僕の場合はほぼ『実験』。先が見えなくて、頭にチラつきましたよ。引退の2文字が」。

 内田は終わった-。そんな声も聞こえてきたが「いま思えば2年で済んで良かった。『1カ月後には走れるかな』と頑張っても、半年後に走れもしない。どんなに専門家の話を聞いても治療の正解が分からない。『治してくれ』『正しい方法を教えてくれ』。苦しすぎて、何度も泣いたよ」。

 手術8カ月後から古巣鹿島でのリハビリを選択すると光が差す。理学療法士から、負担がかかりやすい特殊な骨格だったという膝に、痛みなく正しく力が入る角度を見つけてもらった。

 「そこから、どんどん筋肉がついて。膝にグッと力が入る。走れる。次第に怖さも消えていった」。それほど的確な処置だったが、それでも試合出場まで、さらに10カ月。術後の診断は全治4~6カ月も結局2年を要する大けがだった。

 苦悩の一方で、素直に日本代表への思いがこみ上げた。10代から呼ばれてきた場所。しかし、前回W杯で敗れた26歳で「代表引退を考えてます」と言った。負けてもスター扱いされる日本に違和感を覚えていた。

 「全然やり切ってないのに、もういいかなと。ぜいたくだよね。でも、ずっと外れてるうちに、やるからには日本代表まで戻らなきゃと。わがままだよね」

 ハリルジャパンでの出場は15年3月のウズベキスタン戦が最初で最後。不在の間、右の前線は31歳本田から23歳久保、22歳浅野に世代交代しつつある。「右利きで縦に行ける選手は貴重だし、生かし、引き出してあげたいし、守備も楽にしてあげたい。やっぱり、代表戦で右サイドバックにボールがいけば『俺だったら』って見てしまう」と無意識に連係する自分がいる。

 今日31日に発表される来月の欧州遠征での代表復帰は見送られる。16日のチーム練習で左太もも前を肉離れしたためだが、目は輝く。「脂が乗る27、28歳を棒に振ったのは残念だけど、まだ間に合うし、来年3月も試合がある。1試合あれば評価は変わるし、こうも思っています。『この大けがからW杯で復活したら、格好いいかな』って」。初めて最終予選に出場しなかったが「(国際Aマッチ通算)72試合に出させてもらってるし、急にポンと入ったって戸惑わない。1回、呼んでほしい。きっかけさえあれば」。万全なら実力は別格。ロシアまでに定位置へ舞い戻る自信が、復活した内田にはある。【木下淳】

岩政選手との対談後の内田選手のインタビューの内容が日刊で掲載されています。

ケガで本当に苦しい時期を過ごし、「引退」も意識したんですよね。

それはそうですよね。

サッカー選手として一番脂が乗っていると言ってもいい時期をケガでフイにしてしまったんですから。

でも内田選手はここで終わるような選手じゃありません。そこで終わるような選手ならそもそもこんな大怪我から復帰することなんてできませんし、ドイツ2部という舞台で躍動し、その先に繋げるはずです。

私たち鹿島サポーターも、ファミリーの活躍を祈りたいですね!

頑張れアツト!!!

 

関連リンク

-トピックス, 選手
-

Copyright© 鹿島アントラーズ全力応援サイト【カシマアンテナ】 , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.